「氣づき」からはじまるセルフセラピー

不安を平安に。セラピストが綴る「読むセラピー」系日々雑感。

ひとひとりができることはたかがしれてます。でも…

こんばんわ。HAPPY道場さちこばです。

熊本の地震について、なにか書けるような立場でもないので、記事にすることを避けてきました。

どちらかというと、わたしは福島がいまだに気になっていたので、東日本大震災と規模を比べて軽視してたのかもしれません。

だけどそれは間違ってた。
規模の大小に関わらず。つらい人のつらい気持ちは誰とも比べられないはず。

それでもわたしには、熊本の地震は、福島のことをちゃんと思い出せというメッセージに思えてしかたない。

地震は災害だけど、原発事故の処理を含め、そのあとの処理は人災と思っているから。

だからなのか、熊本の情報は、東日本大震災のときに伝えられなかった人災(略奪や強盗やレイプが起きているということ)が目につくような気がする。

災害については、人間は何もなす術がないけど、
人災は、まわりにいる人が動くことで、どんどんいいふうに変えていけるかもしれない。

わたしは、たまたま知り合いに福島のために動いている人がいて、
福島はいまどうなっているのかな、と思い調べてみたら、こんな記事に行き当たりました。
http://weltgeist.info/?p=10349
およそ1年後に飯舘村が避難区解除されること。
避難区解除されることで行き場がなくなるのではないかと不安に思っている人がいること。

1年後に飯舘村が避難区解除される根拠も不十分じゃないのに。。
5年もそのままにしておいていきなり放り出すようなやり方。。。

5年だよ?
5年も“仮設”住宅に住んでると、それは「仮」じゃないよね。
5年離れてたら、我が家も我が家ではなくなってるかもしれない。

タイミングもやり方もずれている政府にも腹が立つし、
腹が立つと言いながら何もできない自分にもいらだつ。

でも、人ひとりのできることには限界がある。

腹が立とうが、気になろうが、すべてをまかなうことはできなくて。

福島のために動いている知り合いが、「自分には人ひとりぶんしかできることはないけれど、やる」って言ってるように、
わたしも、じぶんの目の前にあることを、愛の行いと思うままにやるだけなんだろう。

わたしにできることは、目の前の人のサポートをすること。
家族に愛を送ること。
まだ見ぬ誰か(このブログを読んでくれているひと)に愛を送ること。
自分を愛すること。
自分を愛することでどんないいことがあるか伝えていくこと。

みんなが自分の持ち場で自分のできることをやる。
それがしあわせな社会をつくるんだとわたしは思っています。

それは、災害があろうとなかろうと。

f:id:sachikoba:20160420021231p:plain