「氣づき」からはじまるセルフセラピー

不安を平安に。セラピストが綴る「読むセラピー」系日々雑感。

「そこ」は「底」ではないのかも。

今はもう無くなったSNSに、むかし、同じタイトルで記事を書いたことがあるのですが、

 

最近、「やっぱりそうかも」と感じているので、
思い出しつつ、今の自分のモードで書いてみますね。

 

すごくしんどくて辛くて苦しい時、
自分は“落ちて(or堕ちて)いる”とか、“どん底に向かってる”って思ってしまうと思う。

前に足が出ない、重くて苦しい、この状態。

なんか..これ..別の感覚で似てるシチュエーションがあったなぁって、ふと思って記憶をたどってみたら、

 

それは、私の数少ない「登山」の体験にそっくりだった。

 

と、いうことは。

 

めっちゃしんどいこの状態は、「底」ではなく「上」に向かって登っているのではないだろうか?

 

だって、下り坂より、上り坂のほうがしんどいに決まってる。

 

もしそうなら。このしんどさを乗り越えたら、すてきな景色が待っている?

 

 

元も子もないことを言えば、次の山が用意されてるのかもしんないけど(笑)

少なくとも、「落ちてる」んじゃなくて「登ってる」ってイメージしただけでも、
気分は変わってくるんじゃないかな。

 

頂上で見たい景色は何だろう。

見れるか見れないかは置いといて、それを想像するだけで、未来の分岐が増えるはず。
だって未来はイメージしたとたんにその可能性が誕生するから。
(これは最新の量子力学(?)でも解明されているらしい..)

 

そんなことを、最近また考えています。

いやもう、人生初の登山、ほんと辛かったんで(笑)
けど今となってはいい思い出なので。

放り出されることは絶対にない

この記事↓を読んでしばらくしてから思ったのだけれど..

 

お金にフォーカスすることはあっても、
空気にフォーカスすることってないなぁって。

 

フォーカスするとかしないとか以前の問題だし、空気をエネルギーだと考えたこともなかった。

 

空気ってなんなんだー?

 

ほんとに、誰も疑いもなく周りにあって当たり前、って思ってるもの。

わたしたちの周りにびっしり隙間なくあって、わたしたちを生かしてくれているもの。
取り除こうとしてもできないもの。
空気のない「真空」という場を人工的に作ったとしても、ちょっとの隙であっというまに入り込んでくるもの。

 

不自然なものは長くは続かないから、
「真空」が長持ちしないのは、「空気」があることが「自然」だから。

 

水の中では水が周り中にあるのが当たり前。
大気圏外では空気がないのが当たり前。

 

「宇宙は愛というエネルギーで満たされている」という説は聞いていたけれど、
どーにも実感がなかったんだけども、
空気と同じ感覚で実感できるものだとしたらすごいなあって。

 

まったく気にしていなけれど、
わたしたちの周りをびっしり取り囲んでいる透明なエネルギー。

 

しかも守備範囲は空気を超えて超ひろいときてる。
水中だろうが大気圏外だろうが、そこら中に愛があって、取り除くことなんてできない。

 

わたしたち迷える子羊たちは、
親とか家とか世間とか社会とかから放り出されたらどうしよう、という分離感を持っているのが生きづらさの原因でもあるのだけれど、
もしわたしたちが愛の中に生きているのなら、
放り出されることは絶対にない。

だって、例えば「家から放り出される」ということは想像できうるけど、
「地球から放り出される」とか「宇宙から放り出される」ってことはありえない、って思えるもの。

 

そう考えると、
もっと安心のなかで生きてていいんじゃないのかな。


ちょっと(かなり)散文。
あとで書き直すかも。

ブログをお休みしているのは

今まさに自分と本気で向き合わないといけない時期だと思うから。

 

わたしは、わたしのインナーチャイルドとの仲を修復しなければなりません。
それを教えてくれた愛する人のためにも。

ああでも こわいなあ

 

こわいけど

 

それは自分が一度死ぬような、怖い体験かもしれません。
本来のあなたになるためには、今のあなかの間違ったアイデンティティや現実に対する解釈は抹殺しなければならないのです。

 

マベル・カッツ著「さとりのホ・オポノポノ」より

 

 この本にも書いてある。「怖くても、がんばって」って。

 

というわけで、丸腰ですが、挑んできます。

 

内心ビクビクでも 膝ガクガクでも
こわないこわない 行くで行くで行くでー!

 

ウルフルズバカサバイバー」より

 

皆さんに、戦利品をおすそわけできる日がくるといいな。